元Fランクビルメンはまブログ

過去の職歴や体験談、現在の仕事を紹介しています。

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自衛隊後期教育から自衛隊退職まで

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今回は、自衛隊の後期教育から退職するまでのお話をしたいと思います。

習志野駐屯地での前期教育が終わり、後期教育を受ける為に山梨県にある北富士駐屯地にやってきました。1班8名で3班あったので24名で後期教育を受けます。みんな前期教育を受けた駐屯地はバラバラです、全国から集まってきています。後期教育は北富士駐屯地にある第一特科連隊(現在は第一特科隊に変わったみたいです)で大砲を撃つ訓練を受けます。大砲にもいろいろありますが、ここではFH70(155mmりゅう弾砲)といって当時は最新の大砲です。このFH70を射撃できる状態にするまでの訓練を受けます。実際に射撃はしませんでした。後期訓練期間は2ヵ月間です。

 

前期教育と同じく後期教育中も外出は、あまりできません。最初の外出は集団外出でした。班長も一緒になって班全員で外出して富士吉田の街を案内してくれました。北富士駐屯地から一番近い街が富士吉田になるんですが、小さいお店が少しある程度ですね。飲み屋、飲食店、パチンコ屋なんかがありました。昔は映画館があったようです。富士

吉田駅の駅ビルは新しく綺麗でした。(現在は富士山駅になっています)

教育中は平日は外出できなくて、たまに土日に外出できるくらいです。新隊員が外出して戻ってこなくなると問題になるからあまり外出させてくないみたいですね。

 

教育中の部屋は、1班と2班は同じ部屋で16人部屋です。2段ベットが8個置かれました。3班は違う部屋になりました。私は1班なので2段ベットの上で寝ていました。朝6時に起床したらベットをしっかり綺麗にたたまないといけません。少しでもベットが綺麗にたたまれていないとベットが飛んでいる事もあります。きちんと整理整頓しないとダメだという事らしいですが、ただの嫌がらせにしか思えませんね。今でもこんな事やっているのかな。後期教育ではそんなに走らされる事はありませんでした、走ったとしてもゆっくりです。特科部隊は普通科より体力のなさを感じました。普通科で後期教育を受けている同期は、かなり走らされているようでした。私は体力を付けたかったので普通科に行けばよかったな~と後悔しました。

 

後期教育が終わるとそのままそこの駐屯地の部隊に配属になります。

部隊には2種類あってFH70を射撃する部隊とそれを支援する本部管理中隊があります。私は本部管理中隊に配属になりました。その本部管理中隊の中にもいろいろあって測量班、通信班、衛生班などがあります。私は測量班の配属になりました。そして測量を覚える為にまた2ヵ月間教育を受ける事になりました。特科測量と言って敵の位置、自分の位置、大砲のある位置をサイン・コサイン・タンジェントなどの三角関数を使って座標を計算します。計算したら約30キロ離れている大砲部隊に連絡します。大砲を撃つ部隊からは敵は見えません、測量班からの情報が頼りです。測量班は敵が見える位置にいるので敵に近いからやられる可能性があります。特科測量は危険な仕事だと思いました。教育内容は、測量機器の取り扱い方法や教室で測量計算を学びます。電卓を使って測量計算します。私としてはランボーのようになりたかったのに、なんでサインコサインタンジェントの勉強しないといけないんだよ!って嫌になっていました、前期教育の終わりの時に何も考えず特科部隊を選んでしまった事をすごい後悔しました。測量教育の最後に試験がありますが、その試験には無事に合格しました。2ヵ月間の測量教育が終わると本部管理中隊にまた戻ります。

 

部隊に戻ってきても普段はあまりやる事がありません。

倉庫整理とか臨時勤務ですね。臨時勤務には、糧食班や消防隊があります。

糧食班とは駐屯地にいる約200人分の朝飯・昼飯・夕飯を作ります。

消防隊は駐屯地内で火災が発生した時に消火活動をする為に、24時間6名ほどが常時待機しています。消防隊には小型の消防車があり、一日1回放水訓練を行っていました。それ以外は自由です一日中寝てマンガ読んでいるような生活です。

臨時勤務の期間は3ヵ月間です。消防隊の臨時勤務は、すごい楽なので行きたかったですが、行けませんでした。糧食班の臨時勤務には行きました、1班5名で3班あります。①調理する班②洗い物をする班③休みの班があり、この3つの作業を1日ごとに交代して作業します。3日に1回は休みです。調理する班になった時は朝5時に起きて朝食を作るので大変です。

 

部隊にいる間は土日祝休みですが、臨時勤務に行っている間は平日にも休みがあります。私は臨時勤務に行っている間に近くの教習所に通って普通自動車免許を取得しました。自衛隊にいれば大型免許を取る事が出来ますが、順番待ちなので、すぐに取れる訳ではありません。駐屯地の中に大型トラックの教習所があります。そこで約2ヵ月間ほど教育を受ける訳です。試験は普通に運転免許試験センターに行って試験を受けます。試験に落ちる人は、ほとんどいないみたいです。私は1任期で退職しましたが2任期いれば大型トラックの教育を受ける順番がまわってきたと思います。

 

自衛隊は1任期2年間の勤務なので、1任期が終わる頃に部隊に残って続けるか?辞めるか?聞かれます。あまりやりがいも感じられなかったので退職する事にしました。当時は海外派遣もなく、災害派遣も行った事がありませんでした。海外派遣があれば行ってみたかったですね。部隊の先輩から「辞めない方がいいぞ、民間企業は自衛隊より全然厳しいぞ、自衛隊の方が楽だぞ」と教えてくれましたが、確かにその通りでした、民間企業の方が全然厳しいです。自衛隊にいた方が生活も安定しているし全然楽でした、戻れるなら戻りたいですが、年齢的にもう戻れまん。今思うと続けていればよかったな~と後悔しています。陸上自衛隊じゃなくて航空自衛隊に行けば良かったなと思いました。航空自衛隊の方が基地が広いし、演習も基地内で済むので楽です。陸上自衛隊は演習で泥だらけになりますからね。スコップ持って穴掘りとか大変です。駐屯地も狭いし売店も小さいです。

 

自衛隊を1任期(2年)で退職した後は実家に戻ってきました。

自衛隊が暇すぎでやりがいがなかったので、海外の部隊に行こうと思ってフランス外人部隊に行く事に決めました。とりあえずフランス語がまったくわからなかったので外国語学校でフランス語の勉強をする事にしました、授業は、週2回、火曜日と金曜日の夜7時から、1時間の授業です。3ヵ月間通う事になりました。授業料は12万円くらいだったと思います。先生はフランス人の男性と女性の先生です。火曜日は女性の先生、金曜日は男性の先生です。女性の先生は日本語が上手でした、日本語でフランス語を教えてくれるのでとてもわかりやすかったです。男性の先生は、日本語がまったく出来ないのでフランス語でフランス語を教えるのであまりわかりませんでした。生徒は私を含めて4人いました。みんな20代前半で若かったです。女性2名と男性2名です。何回が授業で一緒になると「なんでフランス語の勉強しているの?」と聞かれるようになります。女性2名は友達同士で一緒にフランス留学する為にフランス語を勉強していました。男性1名は料理の勉強をしにフランスに行く為にフランス語を勉強していました。私は「フランス外人部隊に行く為にフランス語の勉強しています」とは言えないので、一人旅をする為にフランス語の勉強をしているんだと説明しました。女性2名から「どこに行くの?何しに行くの?」といろいろ聞かれましたが「行ってから決めます」と言っておきました。

 

フランス語の授業が終わりの時期になって、パスポートも作って後はフランスに行くだけになったんですが、父が急に病気にって入院しました、首の神経に異常があるみたいで体の右半身が麻痺している状態になってしまったんです。右手でハンドルとか大きな物は握れますが、ボタンを付けるような細かい作業ができなくなりました、右足もびっこを引くような感じで歩くようになってしまいました。父はトラック運転手の仕事をしていましたが、一人では出来ないので手伝ってほしいと頼まれて、フランス外人部隊に行くのは諦めて約1年ほど父の仕事を手伝う事になりました。1年経過して父の体調は悪くはなりませんが良くもならない状態でした。右半身が少し麻痺している状態なので、フランス外人部隊に行く事は諦めて日本で仕事を探す事にしました。

 

自衛隊HPより引用FH70

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